『不安の種』というホラー漫画が大好きです。
不安の種(1) (ACW champion) [ 中山昌亮 ] 価格:880円 |
ともあれ「大好き」と言っているだけではつまらない。なぜ大好きなのか、考えてみました。
考えてみて、気づいたこと。
私が普段「私の考える妖怪とはこういうものだ!」と述べていること、つまり「私の妖怪観」の教科書的な本が『不安の種』なのではないかと。
「不安の種が妖怪漫画?あれはむしろ実話怪談漫画ではないか!」
と思われるでしょうが、まあ、聞いてください。
私は以前、『怪異の風景学』についての読書レビューで述べた通り、
・妖怪とは、もともとは姿も名前もない「現象」であった
・つまり、昔の人が自然中で生活している時に身体体験として感じる「ひざしが暑かった」「風が涼しかった」「蛙の声がうるさかった」等の体験の中に、「わけのわからない音が聞こえた」といったものが多々あった
・そういう体験は共同体の中で共有された(「俺も同じような不思議な音を聞いた」「あたしも聞いた」)
・いつのまにか、名前がつけられる(「あずきとぎ」とか「たたみならし」とか)
・名前がつけられると、キャラクター化する。物語の中に取り込まれる。それで人々は安心する
というようにして、現れ、継承されたものだと考えています。
このように考えると、今では「ぬりかべ」「あずきとぎ」「つるべおとし」等の名前をつけられキャラクター化されている妖怪も、最初は、「謎の音を聞いた」「謎の影を見た」という、身体的なゾゾゾ体験だった筈。
そして、そのような、現代では失われていくような、「名前をつける前の、言語化がうまくできないゾゾゾ体験」を、とても見事に描写しているのが、『不安の種』だと思います。
この漫画に出てくる怪異は、どれも、正体がなんだかよくわからないままに終わる。
おそらく、歴史の中で「あずきとぎ」とか「ぬりかべ」とか名前をつけられ、安心印なキャラクター化された妖怪たちも、昔の人が最初に体験した時は、『不安の種』の漫画に出てくるような曖昧模糊としたゾゾゾ体験だったのでしょう。
それにしても、そんな『不安の種』という漫画の中に出てきた怪異に、
結局は「オチョナンさん」といった名前がつけられキャラクター化が始まっている(!)のは、それはそれでなんだかとても、面白い。
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