このブログの随所でも事あるごとに言及しておりますが、
ハイ、私、小泉八雲が大好きです。
なにせ小泉八雲の『怪談』を英文で読みまくることで英語の勉強にしていたという学生時代の経緯もあります。それゆえ、彼は私の英語の恩師とも言えまする。エエ、そりゃたしかに、十九世紀な英語ということで今風にはいささか古い語彙を使っている方ではあります。
それでも、『怪談』の英語はいまだに私にとって最高です!美文名文というよりは、このドライブ感というかアトモスフィアというか、それらがちょうど私と相性がよい。
特に『耳なし芳一』のオープニングは最高です。凄まじいアラワザを多彩に盛り込んだ「ツカミ」といっていい!
どういうことか?
そこのところを、今夜はちょっと語らせてください!
More than seven hundred years ago, at Dan-no-ura, in the Straits of Shimonoseki, was fought the last battle of the long contest between the Heike, or Taira clan, and the Genji, or Minamoto clan.
これが書き出しのセンテンス。いいですか皆さん、これ、小泉八雲がターゲットとしている読者は日本のことなんかほとんど知らない19世紀末〜20世紀初頭の英米人なのですよ。普通だったら「そもそも源氏と平氏というのは云々」とか、「これは日本史を決定した重要な合戦で」とか、ウンチク説明をしたくなるところのはずです。
ところが、怪談ストーリーテラーとしてツボがわかっている小泉八雲は、そういう野暮なことをしない。
「ダンノウラ」も「シモノセキ」も「ヘイケ」も「ゲンジ」もそのまま固有名詞として出して、説明抜き、語感だけで突っ走ります。余計な説明を入れるよりもこれら日本史用語をそのまめ放り込むことでエキゾチズムに乗せちまおうという判断でしょうか。この反-説明主義には恰好よさを感じます。
それだけではありません。このあとの文章は、
infant emperor likewise—now remembered as Antoku Tenno.
ときて、
Elsewhere I told you about the strange crabs found there, called Heike crabs, which have human faces on their backs,
ときて、
pale lights which the fishermen call Oni-bi, or demon-fires;
とくる。
この一連の導入文の中で、「安徳天皇」と「ヘイケガニ」と「平家の鬼火」という、日本の怪談・怨霊史を語る上で外せない三要素を惜しみなく一息に登場させているのです。ギリシャ生まれアイルランド出身のジャーナリストがですよ!どんだけ日本怪談の「おさえるべきポイント」をしっかりおさえているんだ!しかもそれを並列で一息に語ってしまう贅沢さ。
そして、凄いのが、
安徳天皇を語り、ヘイケガニを語り、鬼火を語ったところで、
「そういう怨霊を鎮めるために阿弥陀寺という寺が建てられた。で、そこに芳一という盲目の男が住んでいた」と物語をいつまにか始めているんです!
背景説明から自然に物語の主人公に視点が入っていき、いつのまにかストーリーが始まっているという、
映画のオープニングで、遠景からだんだん主人公のところへカメラがクローズアップしていくような、この導入のスムーズな流れが、たまらんのです。
怪談とは、まさに「語り」の文化。小泉八雲先生はあくまで英文での書籍で怪談を発表していた人ですが、この「時代背景からグググっとスムーズに主人公が登場している感覚」はぜひぜひ、怪談語りの際には参考にしたい「テクニック」なのではないかと思うのです!
そして、「わかりやすい文章を書こう」というハナシは自己啓発系含めてたくさん溢れていますが、「短くするだけが読みやすさではない!」「用語をわかりやすくすることだけが読みやすさではない!」実例として『耳なし芳一』をぜひ扱ってほしい。
と、熱く語ったところで、またしても今夜も私は『耳なし芳一』の英文朗読をオーディオで聴きながら眠ることにします。おやすみなさいませ!皆様、運が良ければ、明け方の悪夢の中で会いましょう!
価格:1,584円 |