「怪談」とか「妖怪」とかいうものをコトバで表現したい、となったとき。
狂おしいほどにマネしたくなる文章、というものがあります。恒川光太郎さんの『夜市』の文章です。
価格:572円 |
ホラー小説というジャンルの作品で、これほどに、使われているコトバの選び方という点で惚れ込んでしまった本は他にありません。
この作品の文体や情景描写について語り始めるともはや止まらなくなるのですが、
ここでは一点、まさに異形のモノたちと人間とが交錯する場となる「夜市」の描写について語らせてください。
店の前に、あるいは店と店との間には青白い炎を灯した燭台が並んでいる。着物を着た狸がのんびりと歩いていた。目をうつせば、鬼火とも人魂ともいえる炎が木々の間をふわふわと浮かびながら通り過ぎていく。(※『夜市』(恒川光太郎/角川ホラー文庫)より)
これが「夜市」に関する描写の最初のほうに出てくる文章です。お気づきでしょうか?燭台の話と、鬼火人魂の話の間に、「着物を着た狸」の一文が、まさに通り抜けていくんです。どう考えても妖怪変化の仲間と思われる狸です。めちゃくちゃ気になる狸です。
ところが、このいちばん読者が「ギョッとする」モノについての描写が、いちばんそっけない。説明ぬきで、これだけ。「なんとなく、わかるでしょ?」とばかりに、済んでしまうのです。
概して。
『夜市』の文章を読んでマネしたくなるのは、この「異形のモノ」をこそ「当たり前のようにそっけなく触れるのみ、説明しない」点と思っていまして。
この着物を着たタヌキについては、本当に出てくるのはこの箇所だけ、なんの説明もないわけですし、
もっと大事な点としては、このタヌキを見て絶対に驚いている筈のヒロインの反応や心情も、いっさい、描写説明されていないんです!
普通だったら、「彼女がギョッとしているうちに、その狸は歩み去ってしまった」とか、書きたくなってしまうところと思うのですが!
こういう点は他にも随所で仕掛けられていて、
コートにハンチングをかぶった老紳士が商品を見ていた。客は彼しかいない。店主の口上をきいているようだった。裕司といずみともやりとりをきこうと近寄った。刀剣屋は一つ目ゴリラだった。(※『夜市』(恒川光太郎/角川ホラー文庫)より)
のところの「一つ目ゴリラ」についても説明がなんにもないわけですし、
そもそも、あの印象的な、物語全体の語り出しで登場する「学校蝙蝠」についても、けっきょくはなんだったのか、明確な説明がされないまま、物語は進んでいくわけです。
これほどの「反-説明主義」を貫いている作品なのに、なぜこんなにも「わかりやすい」のかが、魔法のようなハナシであり不思議で仕方ないのですが、
「怪談」とか「妖怪」とかいうものをコトバで表現したいとなったときに、狂おしいほどマネしたくなる文体の筆頭として、
恒川光太郎さんの『夜市』を、今後ともとかく仰いで研究していきたい、と思うのでした!
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