怪談妖怪紀行

【怪談・妖怪紀行】福島県鬼婆伝説の地にて「黒塚」を訪れる

Pocket

週末の日帰りドライブ旅行として、福島県の二本松市に行ってきました

旅の発端は、私が『安達ケ原の鬼婆』をネタにして、X(旧Twitter)でショートシート創作の呼びかけをしたこと。

「みなさま!『安達ケ原の鬼婆』をご存知ですか?今回は、『安達ケ原の鬼婆』を現代ホラーショートストーリーとして、復活させてやってください!」というのが、私が投げかけた企画でした。

『安達ケ原の鬼婆』をお題にした企画を出した私は、安達ケ原の鬼婆の供養のための旅をやるべきだ!

という義理に駆られた私

そしてこれもnoteで先述してきた通り、原発関連施設への見学で、私はこのところ福島県の海側の町には何度も車で行き、ドライブ行程にも慣れてきています。ただし今回は、海ではなく、内陸のほうへ入って行く形。

途中の休憩を入れて、片道、三時間半から四時間程度です。ただし、ドライブ旅行の常ですが、途中で渋滞すると予定時間は大きく狂うわけなので、なるべく早朝に出発したほうがよろしいです。私は例によって朝五時の出発行程で進みました。

二本松市で高速道路を降りますと、あとは、のどかな自然の中をゆるやかにドライブする行程となります。私はそうして、安達ケ原に到着しました。まぁ、二本松市の市内を走っていて、交差点の信号に「安達ケ原」と書かれているのを見た時には、いよいよ着いたのだ、と興奮いたしましたよ。

ここで、簡単に「安達ケ原の鬼婆」について。

昔、京都に「いわて」という名前の老女がいた。彼女はかわいい娘の世話をしていた。ところがその娘はひどい病に苦しめられていた。医者に診せると、「おなかの中にいる子供の生き胆を飲めば助かる」とのこと。
その話を信じた「いわて」は、人間の生き胆を求めて、都から落ち、阿武隈のほとりに居を構えた。そこで、やってくる旅人を襲って、妊婦の腹の中の対峙の肝を手に入れよう、という魂胆だった。
やがて、その土地に、若い男性に連れられた、身籠っている美しい女性がやってきた。「いわて」はその二人を泊めてやりつつ、スキを見て襲い掛かり、ついに女性を殺して腹を裂いて胎児を手に入れた。ところが、「いわて」は、その妊婦がかつて自分が京都で育てていた娘が成長した姿だということに気づいた。見分けがつかなかったとはいえ、娘と、その腹の中にいた孫を殺してしまった「いわて」は気が狂い、不死の妖怪となって、以降、この安達ケ原を訪れるものを襲う恐ろしい「鬼婆」になったという。

まぁ、引いてしまうほどの恐ろしく残酷な話ですが、日本の古典怪談や伝説の世界に沈潜するに、これくらいのグロでうろたえていてはいけない

この通り、安達ヶ原の鬼婆というのは、単なるバケモノバナシではなくて、かなり格調の高い文芸の香気に満ちています。昔から能の題材にされてきたというのも、そうだろうそうだろうと首肯するところ。

これだけ由緒あるモンスターなので、地元である二本松市での扱いもとても手厚く、崇敬に満ちたものでした。

二本松市に入った私は、鬼婆が祀られている観世寺をまず訪問。ここには、かつて「いわて」という名前で知られた、かの鬼婆の供養塔や、石像、慰霊のための塚が配置されています

私は今回、鬼婆というキーワードを、Twitter140字小説のネタに使うという、いわばエンタメの目的で使っているわけなので、最初に「創作に使わせていただき申し訳ございません」とお許しを得る意味で、これらの鬼婆史跡を回り、手を合わせる

それにしても、旅人を次から次へと襲って抹殺するという、『羊たちの沈黙』もマッサオなシリアルキラー系のモンスターを、このように手厚く供養してあげている日本仏教の包容力って、なんとも、やはり、凄いものと思いませんか?

いやもしかしたら、こういうものは「日本の心」と広くとらえるよりも、「東北の心」というべきかもしれませんが。自分が檀家をやっている、地域の由緒あるお寺が、祀っているのが『鬼婆』というのは、やはりなんとなく、他の地域では見ないような話の気もする──いや、これは、わかりませんが、少なくとも「鬼婆が手厚く扱われているお寺」というのを訪れた時に、「ああ、いいなあ、東北らしいなぁ」と私が感じた、というのは事実

聞けば鬼婆は採集的には仏教に帰依することで救済されたそうですね?

罪にまみれているはずの鬼婆は、日本仏教に帰依したから、お寺でも大事にされるようになったのか?それとも、罪にまみれているはずの鬼婆に対してすら、仏教の心は開かれていたから、鬼婆は日本仏教に帰依したのか?私個人は後者の解釈を好む。



創作のための呪術用語辞典

「怪談妖怪紀行」トップへ戻る

-怪談妖怪紀行