「政敵のアイツは地獄に落ちるべし」や「政敵のアイツの死体は鳥葬でよい」といった時事コメントに怪談妖怪好きな私が恐怖を感じる理由

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以下は、私の政治的な立場とは、また別の話。

あくまで、TwitterやSNSで見かける「時事コメント」のあり方についての話です。

まあ、すなわち、今大きな話題になっている、暗殺された元総理大臣のことについてとなりますが。どちらかといえば、既に亡くなった政治家に対して発せられるコメントのあり方について。

先日、ある方が、「(葬儀は)鳥葬でいいよ」というTwitterが発しているのを見かけ、

また本日は、別の方が、「(あの元総理大臣は)嘘つきだったから、いまごろ地獄で閻魔大王に舌を抜かれているだろう」というTwitterを出しているのを見かけました。

それぞれフォロワーの方もかなり多い有名アカウントの方でしたが、こういうタイプの発言は、そういうアカウントなればこそ、やめてほしいな、と思う次第です。

なぜか?

みっつあります。

ひとつめは、「死体が鳥についばまれる」も「舌を抜かれる」も、とっても残虐なイメージである点。生きている人間相手に「お前は鳥についばまれて苦しめ」とか「お前の舌を抜いてやる」とか、言わないでしょう?普通は。なのに、相手が死者だから許される、と思っている、気配があること。死人に口なしコメントのような。相手が死んだら残虐コメントもOKなのか?だいいち、普通にTwitterを見ていて「人間の死体が鳥についばまれているハナシ」とか「人間の舌が抜かれているハナシ」とかをいきなり読まされたら、気持ち悪いでしょう?

ふたつめ。「そうはいっても、鳥葬というものがよいイメージで捉えられている文化もある。鳥葬を毒のあるコメントの中でネガティブに使うのは、多文化配慮としてどうなのか」という点。ただしこれは、たくさんの方が指摘してくれている!ここで私ごときが繰り返す必要はありますまい。

では、みっつめ。私にとっては、これがいちばん大切かもしれない。

怪談や妖怪を研究している私は、当然ながら、日本の仏教や神道、民俗風習にもたくさん触れて生きてきた。そういう中で、やはり、死者に対する弔いは人間文化の根底であり、特に近代文化の隠れた水脈だと認識している、ということ。なにも仏教神道だけでなく、私の家にはクリスチャンの人もいますが、その方たちと話をしていても、近代宗教なら、ここは同じ。

だって、「生前の政敵が死んだら、その死体を辱めてやろう、墓を辱めてやろう」というのは、古代の専制君主の発想か、あるいは20世紀共産主義体制の発想では?、 文化的中庸と多元価値観を是とする(…と私は思っている)現代の市民社会には、そもそも合わないと思うのです。言ってはなんですが、「野蛮」さが取り憑いてると思う。

普段どんなにしっかりとした理性的なことを言っている方でも、政治的な論争でイライラすると、古代専制君主か20世紀独裁者が乗り移ったかのような、野蛮な暴言を吐いてしまうことがある。その典型のような。

かつてドイツのアドルノ、ホルクハイマーは、「現代人の理性的な政治発言も、野蛮さから解放されているわけではなく、(むしろ理性的なほど)いつでも野蛮に置き換わり得る」と見抜きましたが、

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現代的な政治的発言もアツくなりながら語っていると、見た目は理性的な言葉使いでも、コロリと野蛮な発想に置換されていることがままある。これは自分にも起こり得る危険として、是非に心がけたいものです。

この手のコメントをする人の意図はわかりませんが、イライラしてつい言ってしまったのか、読んでいる人に嫌悪感を与えて挑発しているのか、どちらかとは思います(まさかオモシロいことを言っているつもりだとは、さすがにないとは思いますが・・・)。

なお、私個人としては、「オレの政敵は死んだから鳥についばまれてもよい」とか、「オレの政敵は死んだから地獄で舌を抜かれているはず」とか言った発言に、実は嫌悪感は抱いていません

「こういうことをパッと言っちゃう人って怖いな」と、純粋な恐怖感を覚えます。

もし日常生活で、政治的スタンスがどうであれ、そういう発言を堂々としている人がいたら、いざというときに何をしてくるかわからない恐怖があるので、なるべくお近づきにならないですよね?カッとなったら豹変して暴言を吐いてくるかもしれない人とは、そっと距離を置いて、一緒に仕事とか、しないですよね。TwitterやSNSでそういうコメントを見た時も、感じ方は、同じです。


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『妖怪の日本地図・九州沖縄』が示した「妖怪の四グループ」分類に賛同します!

児童向けの本でしたが、とても参考になりました。

千葉幹夫さん粕谷亮美さん、そして石井勉さんによる『妖怪の日本地図・九州沖縄』(大月書店)です。

何が参考になったのか。

この本の序文が、素晴らしい。

厳密には、この本の序文で語られている、妖怪観とよび妖怪の分類が、とても納得できるものなのです。

まず、

夜道を歩いていると、後ろから足音が聞こえますが、ふりむいてもだれもいません。夜の山中、だれもいないはずの場所で大木が倒れる音がします。川から見たこともない手が出てきて、人を水中にひきこもうとします。このように、人にとってふしぎなものやおそろしいことに名前をつけたものが、妖怪のはじまりと考えられます。

『妖怪の日本地図・九州沖縄』(大月書店)

私もこの妖怪観に賛同します。

一点だけ私ごときから意見をさせてもらえるなら、三つ目の例、「川から見たこともない手が出てきて」のところ。それはもうすでに「できあがった妖怪変化」との遭遇になってる気がするので・・・「妖怪のはじまり」を語る例としてはふさわしくないようにも見える。「川に落ちて溺れかけた人が、なんだか見えない手に引っ張られたような気がすると助かった後に言います。これも妖怪のはじまりです」とするなら、とてもよくわかる!まあこれは私の瑣末な異論。

他にも、この短い序文は実に面白い。

上述の箇所に続いて、妖怪を以下の四グループに分類する考え方を述べているのです。すなわち、

・自然現象に対してのフシギから始まったもの

・動物に対してのフシギから始まったもの

・古くなった動画に魂が宿る、という信仰からきたもの

・古代において滅ぼされた地方の小国が由来となるもの

いちばん注目したのは最後のやつです!

明言はされていないですが、大和朝廷に滅ぼされた東北やら九州やら山陰やらのことですよね。これを子供向けの本の中で避けることなく説明しているのは、素晴らしい。

古代において滅ぼされた」勢力の妖怪化を語るならば、「ツチグモ」問題という実に奥行きある深みにハマるのでここではやめますが、

すっきりと整理された妖怪観が、子供向けの平易な文章の中でキチンと表現されていて、こちらの本、たいへんな共感を覚えました!

↓↓↓

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『怪異の風景学』(古今書院)が語る「千と千尋の神隠し」からの比喩としての妖怪学のこと

※画像はジブリ公式サイトの公開画像より

佐々木高弘さんの『怪異の風景学』という本にがぜん注目しています。

怪異の風景学 (シリーズ妖怪文化の民俗地理) [ 佐々木高弘 ]

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ヤーコブソンの言語学に妖怪民話を当てはめてみたり、パースの記号論に妖怪民話を当てはめてみたりと、もっぱら構造言語学と記号論をベースに、日本の「怪異・妖怪」なるものに切り込んでいく試み。

つまりバリバリの構造分析の本ですが、しかし表面的な分析テクニックなどよりも、ずっと注目したいのは、

序章で語られる佐々木高広さんの、妖怪に対する向き合い方。

本書では、妖怪というものを実在するものとは考えていない

という、きっぱりとした宣言に始まり、

しかし妖怪の存在意義は認める。それどころか、もっと正しく評価されるべきと考える

とされています。つまり「実在」を拒否しつつ、「そういうモノがあたかもいるかのように語る意義」は全面的に残そうという立場となりましょうか!

なぜなら、

著者(=佐々木高弘さん)が地域社会に関わる中でしばしば見てきたのは、「客観的データ上、君達の役に立つ」というお上からの押し付けでの大規模開発工事に対して、そこに住む人たちの言語化されざる内的世界が犠牲になった事例をたくさん見てしまった

がゆえの、問題意識からであり、

妖怪のことを知れば、「客観的データ」と「住民たちの内的世界」の矛盾が解決できる議論の土台が築けると安易に考えているわけではないが、何か問題解決の糸口は掴めるのではないか

という期待を妖怪学にこめているからとの旨。

このスタンスには徹底的に賛同できます!

そして面白いのが、佐々木高弘さんは本書の中盤で、映画『千と千尋の神隠し』に触れ、

望んでもいない引っ越しに連れてこられた千尋の車のバックシートでの沈黙と、彼女の心の抵抗にまるで気づかず『この引っ越しはよいもの』とすました顔をしている母親との対比構造は、まさに地域社会の住民と、客観的データしか見ない開発側との間で、対話が成立していないという現代の問題の象徴に見える

としていること。

あー、『千と千尋』を使った、この比喩、なるほど凄くよくわかります!

そして、客観的データしか見ない母親が怪異には実は無力であり、内的世界の言語化がうまくできずにいた千尋のほうが怪異に驚かず立ち向かえたのだ、とまで深読みすると、なおのこと、この比喩的読みは、面白い!

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全国47都道府県の【妖怪観光スポット】を一覧表にしてみました!

以前公開した妖怪スポット10選に続き、今回は日本全国47都道府県の妖怪スポットをリスト化してみました!

各都道府県から「ひとつずつ」を選抜したものとなります。とうぜん、「〇〇県の代表妖怪スポットは、これではないだろう!?」という批判異論は多々あるかと思います。。。

今後の情報収集およびご意見ご指摘を入れて、随時、更新をかけていきたいと思います、何卒!

※都道府県名がリンクになっているものは本ブログ内の「各都道府県の関連記事(妖怪紹介・旅行記)」へ遷移します

都道府県妖怪スポット名関連妖怪スポット参考URL※オススメ怪談本
北海道登別温泉登別国際観光コンベンション協会
青森県善知鳥神社アマビエ善知鳥神社
岩手県とおの物語の館河童(および遠野民話の妖怪全般)とおの物語の館
宮城県荒脛巾神社アラハバキ陸奥総社宮荒脛巾神社
秋田県なまはげ館なまはげなまはげ館
山形県鶴岡市立加茂水族館ケセランパセラン鶴岡市立加茂水族館
福島県安達ヶ原黒塚鬼婆二本松市観光連盟福島の世間話
茨城県牛久沼河童牛久沼:牛久市観光協会
栃木県殺生石九尾の狐栃木旅ネット|殺生石
群馬県囀り石とその周辺囀り石中之条町観光協会
埼玉県川越城川越城七不思議川越水先案内板
千葉県大内かっぱハウス河童(および山口敏太郎氏による妖怪コレクション)大内かっぱハウス千葉の怖い話
東京都鬼太郎茶屋鬼太郎とその仲間たち調布市深大寺鬼太郎茶屋
神奈川県大雄山最乗寺天狗大雄山最乗寺
新潟県西生寺雷獣西生寺
富山県まんだら遊苑地獄めぐり・クタベまんだら遊苑
石川県ハニベ厳窟院・・・なんかもう、いろいろ!ハニベ巌窟院
福井県八百比丘尼入定洞・空印寺人魚おばまナビ
山梨県長源寺大蟹長源寺
長野県鬼無里紅葉の鬼女信州鬼無里の観光情報
岐阜県古井の天狗山天狗みのかもトリップ
静岡県天狗の里はるの天狗春野いきいき天狗村
愛知県桃太郎神社桃太郎一行と鬼犬山観光情報
三重県海士潜女神社トモカズキ伊勢志摩観光ナビ
滋賀県東近江市ガオ・その他妖怪一般八日市には妖怪がいっぱい
京都府日本の鬼の交流博物館日本の鬼の交流博物館
大阪府平野町ぐるみ博物館鬼とか閻魔様とか幽霊とかたまに出る町ぐるみ博物館
兵庫県辻川山公園柳田國男関連の妖怪一般福崎町観光協会
奈良県元興寺ガゴゼ元興寺
和歌山県田辺南方熊楠関連全般南方熊楠ゆかりのコース
鳥取県水木しげるロード妖怪全般!水木しげるロード
島根県松江市全体小泉八雲関連全般松江観光協会
岡山県吉備津神社鳴釜吉備津神社
広島県三次もののけミュージアム妖怪全般!三次もののけミュージアム
山口県座敷わらしさん家座敷わらし座敷わらしさん家
徳島県妖怪屋敷妖怪全般!道の駅大歩危
香川県妖怪美術館妖怪全般!妖怪美術館
愛媛県赤蔵ヶ池いよ観ネット
高知県海洋堂かっぱ館河童海洋堂かっぱ館
福岡県久留米市田主丸ふるさと会館 河童田主丸ふるさと会館
佐賀県秀林寺猫塚化け猫白石町ホームーページ|猫塚
長崎県諫早神社おしめんさん・アマビエ諫早神社
熊本県鬼の城公園天草宝島観光協会
大分県臼杵市全体妖怪一般臼杵市観光協会
宮崎県椎葉村柳田國男逗留の家/くだんonly one Shiiba
鹿児島県轟の滝いったんもめん肝付町観光協会鹿児島の怖い話
沖縄県識名坂遺念火(いねんび)那覇市観光資源データベース琉球怪談デラックス

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「妹の力」を柳田國男先生の命日に読む

ところで、本日、八月八日。

フォークロア好き・妖怪好きには大事な話、柳田國男先生の命日です。

命日ということで、柳田國男先生の本をひとつ手に取ろうと思い、本棚から手に取ったものが、『妹の力』でした。

妹の力 (角川ソフィア文庫) [ 柳田 国男 ]

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こちら、書名は「妹の力」となってはおりますが、

いわゆる「兄妹」の妹のみならず、日本古来の伝承や民藝の中に生きる「女性像」とその力を徹底的に追いかけたものです。

なんとも壮大な対象を扱った作品ですが、柳田國男先生の著作に顕著なように、膨大な事例と考察を展開した上で、残りの考察を後世にボンと宿題のように提示して終わっているところがあります。

読んだ人間が自分なりに「日本における『女性』とはなんだろう?」というテーマを受け止めて、展開して、はじめて意味が出てくる本となりましょうか。

そして言うまでもなく、「男女共同」というテーマが重要になってきている今日にあっては、ますますこの問いは重きを増しているわけですし、

柳田國男先生の考察をそのまま受け入れれば終わり、というわけにもいかない複雑な陰陽を孕んでいることは周知の通り。

しかし、柳田國男先生いわく、

「ところが今日のもの知りには、卑俗なる唯物論者が多く、かくのごとき兄妹間の新現象をもって、単純なるエロチシズムの心理に帰せんとし、一方にはまた常習の悲観家なる者がこれと合体して、往々にしてこれによって解放の弊をさえ唱えんとするように見える。しかしその観察は明瞭に誤っている。」

「それにはまず女性自身の、数千年来の地位を学び知る必要がある。これをわれわれのような妹を持たぬ男たちに、一任して顧みないのはおかしかったと言い得る。人間の始めたことに本来意味のないことはありえないのに、これを迷信などと軽く見てしまって考えてみようともしなかったのは、同情のない話であったということを、改めて新しい時代の若い婦人たちに説いてみる心要があると思う。」

という指摘はごもっとも、と私なんぞは思ってしまう。

「昔の日本人が女性というものをどう見ていたかなんて、どうせ迷信と偏見のカタマリに決まっている」と頭から拒絶するのではなく、

数千年の生活の中でひとびとがどう考えてきたかを見るところから始めること、決して悪いことではないと思うのですが如何に??

おっと、ところで!余談ながら!

「柳田國男先生の本に、いわゆる『うつぼ舟』伝説についての考察がある筈ですが、どこに載っていますか?」と道に迷った方へ。この『妹の力』の中に、まるまる一章、日本各地のうつぼ舟伝説を扱っている箇所があります。そしてこの章、単体で読んでも、めちゃくちゃ面白いです!

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