サム・ライミはビジネスの天才なのか!

photo of wooden house during daytime
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先日も言及した、清水崇監督の自伝的ノンフィクション、『寿恩』について。

かのJホラー『呪怨』のハリウッド版を撮るにあたって、プロデューサーのサム・ライミから、「この映画は日本人にしか撮れないから、オリジナル版の監督にそのままハリウッド版も撮らせよう」と指名された、清水崇監督。

サム・ライミの考えでは、

「アメリカ人に撮れるホラー映画なら、日本人監督にやらせる必要はない。日本の怖さを表現できるやつがほしい。アメリカにあるホラーなら、いらん」

ということだった、とか。

すごく、訴えてくるコトバ。この判断ができて、かつこれで映画会社を説得してくれたサム・ライミって、もしかしてすごい人なんじゃなかろうか!『死霊のはらわた』をとったヘンチク監督だなんて思い込んでいたが、とんでない、、、!

「5分で読める!背筋も凍る怖いはなし」を読了して

こちらを読了。岩井志麻子さんや平山夢明さんら、豪華な顔ぶれによる24話分のショートストーリー集でした。私は、澤村伊智さんの「君島くん」がいちばん面白かった。概して、「破っちゃいけないタブー」を最初に言い渡されて、それを時間が経って慣れてきた頃にうっかり破ってしまうというパターンはゾクゾク怖い!

『紙芝居と不気味なものの近代』が掘り出した「墓場奇太郎」にがぜん注目したい

姜竣さんの著作『紙芝居と<不気味なもの>の近代』では、今日で言うところの「ホラー」表現の前史が、昭和初期の紙芝居に求められているのが、とても面白い。

『猫少年』とか『怪人ゴーラ』とか『墓の呪い』とかいった、戦前戦中期の紙芝居の「ホラー系」作品が紹介されているのですが、まさにノリも絵柄も今日でいうホラー漫画と同じ。正直なところ私も、日本の「ホラー」とか「怪談」とか「怪奇幻想モノ」とかを追いかけてきた中で、紙芝居というメディアはまったくノーマークでした・・・

これに気づかせてくれただけでも本書を読んだ甲斐はありました。

とりわけ、水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』『墓場の鬼太郎』の前に、そのモトネタと思われる『墓場奇太郎』なる紙芝居が存在していたというのは、重大な指摘ではないでしょうか。これを知っている人は、なかなかいないように、私には思われる。

ただし本書を一般読者が読む上では弱点が。タイトルが予感させているとおり、フロイトやラカン、アガンベンやクリステヴァ、レヴィ=ストロースやフーコーといった、フランス(一部ドイツ・イタリア)現代思想ばりばりな本だということです。それがいけないというわけではないけれど、一般読者の立場に立つと、こんなに面白い本を扱っているのに、こんなに読みにくい本もない、ということになる。とまれ、私としては、権力非難とかエピステーメーとか文化装置とかいった「いかにも現代思想だなぁ」という議論に興味のない人は、本書に出てくる「これはフーコーのいうところの〇〇である」「あれはアガンベンのいうところの〇〇である」といった箇所は、ぜんぶ読み飛ばしても構わない気もする。

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夏休みの宿題で「お父さんも読書ノートを出してください」とあったので怪談本ラッシュを発動させた

本日は2022年8月31日となります。

我が子の宿題?終わっておりますよ!ただし、ここだけの話、お父さんである私が夏休み開始時に「宿題を完璧に終わらせるためのガントチャート」を作成し、それを子供に守らせ、定例で進捗確認をしながら宿題させたからです!

お父さんのITエンジニアマインドがこんなところで発動するとは。子供が思春期に差し掛かってくるとこんな手法は「管理されてるみたいだ!」と反発されちゃうから、今のうちですがね。「管理されてるみたい」もなにも、管理手法ですけどw。

さて。

小学校の夏休み宿題に、面白い課題がありました。

「夏休み中に10冊は本を読みましょう」という課題。読んだ本の記録を「読書ノート」なるものに記録して提出、というものですが、

なんと、この「読書ノート」、保護者もひとつ、作るらしい。つまり、保護者が夏休み中に読んだ本も10冊さらせと。

ほう、よかろう!

ではお父さんの夏休み読書ノートを見せてやろう!

こんな感じになりました!

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「なんだこれは!ほとんど怪談まみれではないか!」と受け取った担任の先生は仰天するかもしれません。それが心配なので、ひとつだけ、怪談以外の本も入れておきました。これもまあ、わたしの趣味ですが。。。

先生がここに食いついて、

「いいですね!お父さん!ぜひラッセルのパラドクスについて語り合いましょう!」

と言ってきたら、それはとても、嬉しいな!でも、そんな保護者と教師、子供たちからすれば、ドン引きか、、、。

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いっけん怪談本に見えない名作怪談本『日本城郭奇談』のこと

「怪談」「歴史」「城」の三つが好きだ、という皆様!朗報です!

そんな方にピッタリの本を見つけてしまいました!

菅井靖雄さんの『日本城郭奇談』(東洋出版)です!

私は、学生時代から「城」に興味を抱きました。…そこで、城に関する奇談が書かれている資料を集めだしました。対象は、伝説・人柱・事件・七不思議・民話・埋蔵金・妖怪などに関するものなどです。

『日本城郭奇談』(菅井靖雄/東洋出版)

私がこの本を強く紹介したい理由は、タイトルも表紙も地味すぎて、きっと怪談の本だと気づかない怪談ファンが多いのではないかと、危惧したからです。私も最初見た時は、地味な歴史本かと思った。

しかしその中身は、愛知県吉田城のバケモノ退治伝説や、大和郡山城の容貌うるわしき侍女「玉苗(たまなえ)」が起こした妖怪騒動など、

日本全国の城にまつわる、怪談奇談伝説異説集。よくぞここまで集めたもの。

特に私が面白かったのは、「岐阜城の歴代城主は10人がことごとく横死している」というもの。斉藤道三から義龍、龍興にいたる斉藤家は戦国時代の人なので仕方なかったとしても、そのあとにこの城に入った織田氏、池田氏の当主連続非業死は、たしかに、「いわれてみれば気味わるい」ところ。面白かった!

この手の本がなんといっても良いのは、あくまで「好きな人」が趣味として熱心に資料を集めていたのが、蓄積されて一冊の本になった、というナチュラルな成立史に好感が持てる点。もともと日本の城というのは見かけからミスティックで興味の尽きない対象ですしね!まさに掘り出し物、良書でした!


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「政敵のアイツは地獄に落ちるべし」や「政敵のアイツの死体は鳥葬でよい」といった時事コメントに怪談妖怪好きな私が恐怖を感じる理由

啓蒙の弁証法 哲学的断想 (岩波文庫 青692-1) [ M.ホルクハイマー ]

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以下は、私の政治的な立場とは、また別の話。

あくまで、TwitterやSNSで見かける「時事コメント」のあり方についての話です。

まあ、すなわち、今大きな話題になっている、暗殺された元総理大臣のことについてとなりますが。どちらかといえば、既に亡くなった政治家に対して発せられるコメントのあり方について。

先日、ある方が、「(葬儀は)鳥葬でいいよ」というTwitterが発しているのを見かけ、

また本日は、別の方が、「(あの元総理大臣は)嘘つきだったから、いまごろ地獄で閻魔大王に舌を抜かれているだろう」というTwitterを出しているのを見かけました。

それぞれフォロワーの方もかなり多い有名アカウントの方でしたが、こういうタイプの発言は、そういうアカウントなればこそ、やめてほしいな、と思う次第です。

なぜか?

みっつあります。

ひとつめは、「死体が鳥についばまれる」も「舌を抜かれる」も、とっても残虐なイメージである点。生きている人間相手に「お前は鳥についばまれて苦しめ」とか「お前の舌を抜いてやる」とか、言わないでしょう?普通は。なのに、相手が死者だから許される、と思っている、気配があること。死人に口なしコメントのような。相手が死んだら残虐コメントもOKなのか?だいいち、普通にTwitterを見ていて「人間の死体が鳥についばまれているハナシ」とか「人間の舌が抜かれているハナシ」とかをいきなり読まされたら、気持ち悪いでしょう?

ふたつめ。「そうはいっても、鳥葬というものがよいイメージで捉えられている文化もある。鳥葬を毒のあるコメントの中でネガティブに使うのは、多文化配慮としてどうなのか」という点。ただしこれは、たくさんの方が指摘してくれている!ここで私ごときが繰り返す必要はありますまい。

では、みっつめ。私にとっては、これがいちばん大切かもしれない。

怪談や妖怪を研究している私は、当然ながら、日本の仏教や神道、民俗風習にもたくさん触れて生きてきた。そういう中で、やはり、死者に対する弔いは人間文化の根底であり、特に近代文化の隠れた水脈だと認識している、ということ。なにも仏教神道だけでなく、私の家にはクリスチャンの人もいますが、その方たちと話をしていても、近代宗教なら、ここは同じ。

だって、「生前の政敵が死んだら、その死体を辱めてやろう、墓を辱めてやろう」というのは、古代の専制君主の発想か、あるいは20世紀共産主義体制の発想では?、 文化的中庸と多元価値観を是とする(…と私は思っている)現代の市民社会には、そもそも合わないと思うのです。言ってはなんですが、「野蛮」さが取り憑いてると思う。

普段どんなにしっかりとした理性的なことを言っている方でも、政治的な論争でイライラすると、古代専制君主か20世紀独裁者が乗り移ったかのような、野蛮な暴言を吐いてしまうことがある。その典型のような。

かつてドイツのアドルノ、ホルクハイマーは、「現代人の理性的な政治発言も、野蛮さから解放されているわけではなく、(むしろ理性的なほど)いつでも野蛮に置き換わり得る」と見抜きましたが、

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現代的な政治的発言もアツくなりながら語っていると、見た目は理性的な言葉使いでも、コロリと野蛮な発想に置換されていることがままある。これは自分にも起こり得る危険として、是非に心がけたいものです。

この手のコメントをする人の意図はわかりませんが、イライラしてつい言ってしまったのか、読んでいる人に嫌悪感を与えて挑発しているのか、どちらかとは思います(まさかオモシロいことを言っているつもりだとは、さすがにないとは思いますが・・・)。

なお、私個人としては、「オレの政敵は死んだから鳥についばまれてもよい」とか、「オレの政敵は死んだから地獄で舌を抜かれているはず」とか言った発言に、実は嫌悪感は抱いていません

「こういうことをパッと言っちゃう人って怖いな」と、純粋な恐怖感を覚えます。

もし日常生活で、政治的スタンスがどうであれ、そういう発言を堂々としている人がいたら、いざというときに何をしてくるかわからない恐怖があるので、なるべくお近づきにならないですよね?カッとなったら豹変して暴言を吐いてくるかもしれない人とは、そっと距離を置いて、一緒に仕事とか、しないですよね。TwitterやSNSでそういうコメントを見た時も、感じ方は、同じです。


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「自分ももうすぐ殺される」と仮定して明日何をするかを整理したけど、、、やることはあまり変わらなかった

この記事ですが、すごく地味に書かれていますが、とりあえず「投稿を見て通報した人」はファインプレーというしかない💦!

https://www.sankei.com/article/20220824-4Y6CDMUZYBM3HFGF7STL5ZB5QI/?128002

それにしても、感慨は、

「けっきょくこうなったか」

最近は、はい、こんな感じです。右も左も関係なく。たとえばTwitterのほうで私がフォローしている方も、政治的な発言をしただけで「ころすぞ」と言われておりました。

こうなると私ですら、もちろんただの小物の小市民なので政治家より確率はだんぜん低いがw、何かのきっかけでとつぜん殺されるかもしれない、なんて不安にかられてきます。

SNSでなにかの発言をしたのが誰かの気に障っただけで。あるいは、もっとありそうなのは、参加していた政治的集会がたまたま襲撃されたのに巻き込まれて。

そんな時代だと仮定したとき、つまり、どこで私か、あるいは私の家族が殺されるかもわからない、という不安にかられた時こそ、「もうすぐ自分も殺されると仮定したら、何をしたいか」で明日の行動を決めるようにしています。その答えは?、、、今思っていることをできるだけブログに残しておく、ということで、あんまり、今日やっていることと変わらんかも💦

よし、ならば、今日も明日も思っていることを書こう。

『鬼と異形の民俗学』(株式会社ウェッジ)を読む

鬼というものが、あの、日本のツノを持った怪物の姿をとったのは、室町以降のことである。それまでは、姿もない「人間でないモノ」まとめて、「鬼」であった。

という前置きから始まり、古事記のヤマタノオロチを嚆矢とした日本の「鬼」の歴史を追う、民俗学の本。とはいえ専門的なところはなく、一般読者向けに平易に書かれているので読みやすい。

『鬼滅の刃』を使った例を使い過ぎているのが気になったが、時流に乗った話ということで、まあ、いいでしょう。

鬼と異形の民俗学 漂泊する異類異形の正体 [ 飯倉義之 ]

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怪異妖怪をめぐる冒険が『きみの体は何者か』に結びつくとき

「怪異」とか「妖怪」とか呼ばれるものとの付き合いはずいぶん長い。

そして深く掘れば掘るほど、気づいてくることがある。

私が「怪異」とか「妖怪」とかを通じて考えていた問題意識とは、実は「身体と言語」をめぐる問題意識だったのではないか、と。

奇妙な体験をする。怪異や妖怪の「実在」を信じるかどうかはあまり関係なく、何かを体験してしまった人は、身体に「きみのわるい感じ」が残る。その「きみのわるい感じ」は言語にして人に伝えることでようやく自分の中で位置づけられる。それが共同体の中で位置づけられると、今度は「○○とぎ」「○○おとし」「○○鬼」のような、名前がつく。それによる「きみのわるい感じ」の昇華と、または、「きみのわるい感じ」の残滓に、私は興味を持ってきた。

ということは、少なくとも私にとって、妖怪学の関連科学は言語学であったということになる!!

そんなことを考えていた最近。

伊藤亜紗さんの「きみの体は何者か」を読んだ。主に吃音の問題を中心に据えて、身体と言語の関係を扱った、少年少女向けのわかりやすい本だった。

吃音による、言いたいことと、それが言えないこととの「ズレ」の話は、けれども、吃音を持っていない人が「無意識にでもべらべら喋れてしまう」がゆえに気づいていないたくさんの問題を抽出する。

そして本書が示してくるように、「自由にべらべら喋ることができる」ほうが、はるかにフシギで、異常で、よくよく考えると、危険なことなのだ。

ともかく。

本書が主張する、「ズレへの注視」というテーゼに私としてもとことん賛成をしたい。

そして、冒頭でも述べたとおり、私が「怪異」とか「妖怪」とか呼んでアプローチをしていた対象とは、実は「身体と言語のズレ」に対するこだわりであったのかもしれないわけだから。

きみの体は何者か なぜ思い通りにならないのか? (ちくまQブックス) [ 伊藤 亜紗 ]

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